Let's goコーガン!Let's go徹也! 19小沢むけんぢvsお嫁タンバは筆舌に値する試合となる。序盤のグランドレスリング、宇宙人ケブラータ、一進一退の攻防、技の正確性、終盤の盛り上がり。地元法政にベルトをと観客もヒートアップ!結果はお嫁タンバ勝利!見事ジュニアのベルトを取り返した。大歓声の観客。試合の完成度含めて法政祭の歴史に残る一戦になった。あの半魚人マサカズやイソップが「あの試合は凄かった」と今でも語る名勝負であった。UWF96年組ジュニア三国志はこの2年をかけてここに完成形をみせる。史上最強のジュニアの誕生である。強いチャンピオンがててそれを狙う猛者がいるその闘いをお客さんが見に来る更に特筆すべきは他の階級のレスラーと闘っても好勝負を見せる。これだけならまだどの時代もあ...26Feb2016アマチュアプロレス
Let's goコーガン!Let's go徹也! 18秋の学祭後半戦法政小金井明治生田法政市ヶ谷専修、東洋と磐石な強さを発揮した小沢むけんぢが最大の外敵となり、この市ヶ谷にやってくる。法政市ヶ谷祭自主法政祭と銘打たれたこの祭りは地元の私にとっては思い出深い会場である。今は入り口付近に建物が数件立っているが、昔はそこは校庭で所狭しと屋台が並ぶ。そして野外ステージが存在し、そこでは昼はライブが行われている。15時30分のライブ終了とともに突貫工事でリングを設営。(30分)16時30分より工業がスタートする。毎年の名物となっている学生プロレス。ライブ中から場所取りの争いが行われ、リングの設営が始まるや否や、一斉に観客が座っていく。まさに足の踏み馬もないくらい。この時は屋台も機能しない。全員が...25Feb2016アマチュアプロレス
Let's goコーガン!Let's go徹也! 17城西大学大会、私が一部メインをした興行の二部メインはUWF世界ジュニア選手権お嫁タンバvsでかい一物が行われた。お嫁タンバ防衛。お嫁タンバ、小沢むけんぢ、でかい一物のジュニア三国志は熾烈な戦いを繰り広げていた。その中でも小沢むけんぢのクオリティは半端なかった。その後横国2連戦の後の専修大会UWF世界ジュニア選手権お嫁タンバvs小沢むけんぢいよいよの頂上決戦。小沢むけんぢへ王者が移動!これは快挙でしたね。同じ年でベルトが移動ってあんまりなかったっすよ。俺は獲れなかった。チャンピオンにはチャンピオンのすべき事があって、俺はそれが足りなかったと思う。彼はすべき事をして周りを納得させたんだよね。試合内容も文句なしでしたし。この代は半魚人イソ...24Feb2016アマチュアプロレス
Let's goコーガン!Let's go徹也! 16小沢むけんぢブレイク周りはどう思ったか分からないが、俺の中では「むけんぢジュニアあるぞ」と思った。近年UWFシングルベルトはよっぽどの事がない限り同期に獲られるという事はなかった。文字通り最強の男がチャンピオンであった。しかし、直近でいえばこの代がそうだったですね。1990年入門組え?分からないって?そうイソップ、半魚人の時代今の健康プロレス創設メンバーの代である。半魚人マサカズからイソップへジュニアベルトが渡ったのです。明治和泉だったかな。当時の試合を見た。ガリガリの二人だった。考えられない(笑)彼らも2年時に半魚人、3年時にイソップとベルトを持ち正に最強を二分する存在であった。それに倣ってかアイアイ笠原の知恵かはたまた運命のいた...23Feb2016アマチュアプロレス
Let's goコーガン!Let's go徹也! 151998年春ダッチワイ藤井JAPANは卒業小沢むけんぢは3年生となった。そう、大学3年生は勝負の年である。持たざる者は何を思ったのであろう。勿論毎試合のクオリティを高めた。しかし、最大の転機は7月の小川町興行ヤブサメvs小沢むけんぢだったと思う。この試合も確か怪我から復帰したばかりというシチュエーションだったような。また怪我したら・・・引っ掛かりはあったと思うそれにより思うように動けてないそんなむけんぢを察したかのようにいつもの不遜な物言いで彼はいうのだ。「むけんぢ、お前はエルボーだけでいいんだ。」当時5年生だった彼はもう勝敗とはお役御免の立場にあった。マスクも被らず、テンガロンハットとウエスタンベストをコスチュームにしていた。宮内...22Feb2016アマチュアプロレス
Let's goコーガン!Let's go徹也! 14甘言【意味】人が気に入るような口先だけのうまい言葉聞く人間によってはそう思うかもしれない。6月の和泉祭から正式にジュニア表明したむけんぢであったが、ジュニア戦線の流れの中でチャレンジマッチなどでタッグの機会も勿論多くあった。小沢むけんぢは階級も同じでコスチュームのタイプも似ているからよくでかい一物とタッグを組む事が多かった。でかい一物名前を書いたら入学できると言われた城西大学で、名前を間違えたのに入学できたという更に斜め上のネタを引っさげてきた新人。ヤブサメ(現;GENTARO)はひとつ下の2年のどろぼう(れすらー名)は自分より年上でイマイチいじれない。だからおもちゃのように扱える後輩が早く欲しかった(笑)のででかい一物はもう申し分...21Feb2016アマチュアプロレス
Let's goコーガン!Let's go徹也! 1397年夏。笠原にとってはジュニアヘビー級戦線で大誤算がおこる。7月の小川町興行で小沢むけんぢ怪我で欠場。ミサイルキック着地での肘脱臼。秋の学祭には間に合ったんだっけ。でも笠原としてはタンバとむけんぢ、どっちが奪るか分からない状態で雪崩込みたかったはずだが、大分構想としては計算外だったと思う。そんな中時だけが過ぎる。97年秋 東洋大学朝霞校舎去年実験的に試みた都内白山校舎興行が大失敗に終わり(興行タイトルが「閑古鳥96」となるくらい&今では白山校舎は大熱狂だがそこではなく、別の校庭みたいなグランドにポツンとリングだけ置かれたとてもシュールな会場だった。)、再び朝霞校舎東洋闘夢で行われたタイトルマッチ。UWFジュニアヘビー級選手権アイア...20Feb2016アマチュアプロレス
Let's goコーガン!Let's go徹也! 12アイアイ笠原は悩んでいた。UWFジュニアヘビー級チャンピオンとして数々の防衛を行ってきた。94年組は人からは「黄金世代」と呼ばれるようになった。笠原はそんな代のジュニア王者であった。しかしそんな彼にも問題があった。後継者がいないのだ。我々の下の代は90年代最強と言われている「伊藤・クンニー」を擁する代。19Feb2016アマチュアプロレス
Let's goコーガン!Let's go徹也! 11第2部「パーフェクトジュニア」1997年春小沢むけんぢは2年生になった。同期はそれなりにいたのだが、2年になると色々な理由で辞める奴も出てくる。彼女が出来て説明するのが恥ずかしいから単純に人間関係が嫌だからついていけないから彼もそんな言葉もよぎったかもしれないが、期待の2年生でこの春を臨むことになる。同期では、夏合宿でホモ永昇男先輩に18Feb2016アマチュアプロレス
センスと反復センスの話カート・アングルは天才だなって話してて。たとえ金メダリストだからってたった数カ月で完全にプロレスに対応するなんてやっぱアングルはセンスあるからなんだろうねと。じゃあセンスって何なんだろうねという話になって。俺なりに考えてみますよと思考スパイラルまず九九で例えると4×4(しし)=16 って考えていってるんじゃなくって小学校で何回も言って覚えるんだよね。これ反復なんだよね。だけどなんで(しし)が16なのかって考えて頭と体で理解するのが多分センスなんじゃないかな。そしてプロレスって16=過程はお任せだと思いません?1×16でもいいし2×8、2×2×2×2、3×3+4+3、(-2)×(-2)×(-2)×(-2)etc方法は無限です...17Feb2016アマチュアプロレス