2011年の棚橋弘至と中邑真輔 打ち合わせメモ

メールを整理していましたら柳澤さんと打ち合わせをした後かに

考えてきたメモが出てきました。

僕は棚橋選手はトレースできるかなと思っていましたのでほぼ棚橋選手の

リサーチになっています。


以下メモ


「棚橋がWWEを意識している」

と仮定してみます。 


まずWWEの特徴を整理します。 

1)マッスルボディ 

2)位置の分からないベルトがある(WWE世界、インタコンチ、US)

(昔は全日本もPWF、UN、インターとありましたが) 

3)抗争(同じシングルマッチを何度も闘う) 

4)抗争(ライバルストーリー) 

5)フィニッシャー論(90年代後期のWWF;ストーンコールドの固定論とブレッドハートの大事な試合はフィニッシャーを変える論) 

6)収益構造(興行収入とロイヤリティ収入の割合が日本とは大分違ったような)


 位でしょうか。 

それを一つずつ確認してみますと  

1)マッスルボディー

に関してはWWEでなく藤波氏の影響だと思いますね。 

でもWWFのベルトを取るくらいの藤波氏を通して意識しているんでしょうか。 

プロレスファンとしては棚橋選手は


藤波-武藤-棚橋


でテクニシャンの王道を歩みたいとは思っていたと思ってます。 

WWEがマッスルボディ(細い系のマッチョ)路線になったのも2003年以降だと思いますので。 

(ジョン・ロウリネイティスのWWE入り→人事部長就任あたり) 


 2)U30の設立が棚橋選手発案

であるならば 新日本プロレスにインタコンチネンタル思想をいち早く取り入れたのは

棚橋選手かもしれませんね。 

またU30を封印した中邑選手が同意図で作られたベルトの象徴になったのも皮肉なのか運命なのか。 勘ぐってしまいますね。 


 3)抗争の件

これは下記裏を取って欲しいのですが、ファンとして思っていたのはマッチメーカーが

邪道外道選手に変わったあたりから永田vs棚橋が頻繁に行われるように なったと思います。 

何故なら今の新日本で一番いいカードがそれだったからです。 


WWEではカートアングルvsクリスベノアを2003-2005くらいまで連発していたはずです。 

これを習っていると思われます。  

時代背景としたら、藤田にチャンピオンを渡し、プロレス下手なくせにこいつがトップで

永田選手とかの 実力者もそれにならって口を出さないでいる。 

新日本プロレスは信用を無くしてきっている。 

ここでプロレスファンの信用を取り戻すにはいい試合して 


 「いい試合だったな」 


とお客さんを返すしかない。 

試合内容至上主義に変えるしかない。

だから今の最高のカード永田vs棚橋で勝負する。 

 こんな感じだったのではないでしょうか。 


逆にボマイエを使い出してからは棚橋vs中邑が増えたはず。 

注目していただきたいのはIWGP王座が中邑-武藤-棚橋と来ている事。 

武藤選手をワンクッション置くことで棚橋選手に正式にエースが移譲されたと。 

まるで武将が天下統一宣言してから征夷大将軍へ格が上がった瞬間と思いました。 

彼にとってはやはり藤波-武藤-棚橋ラインの継承を望んでいたんだなぁとファンながら思うのです。


 4)ライバルストーリーに関しては大分参考にしていると思います。 

当時のWWEはかなり私情をリングに持ち込んでいたと思います。 


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嫌いという感情もビジネスに昇華して作品化していってるところから 

先ずは対立概念を無理やり作って、そこから辻褄を合わせていく作業。 

これを膨らましてアングルまで持っていく。 

ここら辺のやり始めは棚橋選手だと思います。 

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※ここら辺使われましたね(笑)


嫌いだーは昔から言ってるんですけど、こういう感情を応援してよって観客へ発信し始めたというか。

 ライトにストーリー化していく作業が初めてだと思います。 

これは色んな本で自分で語ったますよね。 


5)フィニッシャー論 

棚橋選手はWWEというより80年-90年代のアメリカンプロレス思考だと思うのです。 

昔ブレッドハートが大事な試合の時は技とフィニッシュを変えるみたいなこと言っていた

と思います。 (裏取りお願いします。)

ブリティシュブルドック戦とか 

この思考を棚橋選手は大事にしているかなと。

でも使うのはG1とかでタイトルマッチはハイフライフローだと思います。 

タイトルマッチは否が応でも注目する。

そうじゃない試合で語れる試合をという意図なのでしょうか。 


僕はタイトルマッチこそ色を変えるべきかなと思ってまして。

 AJスタイルズは全試合心掛けているように見えますので 


※私みたいなマニアからしますと其処ら辺が逆に物足りないと感じるところでもあります。

ただ棚橋選手はフィニッシュは変えない代わりにフィニッシュ前を変えています。



6)に関しては棚橋選手はノータッチかなと  


【年表】 

2003年4月 U30ベルトを取る 

2005年1月 U30ベルトを失う 

2004年6月 IWGP戦で藤田和之に敗れる(10月健介に敗れる) 

2005年6月 U30ベルトを中邑から奪う 

2005年7月 藤田がまたIWGPチャンピオンになる(10月レスナー、蝶野の3wayで負ける) 

2005年10月 サイモン猪木による長州現場監督復帰 

2005年11月 ユークス新日本オーナーになる 

2006年1月 仮面ライダーカブト始まる 入場ポーズをパクる 

2006年5月 WRESTLE LANDでチャラ男 

2006年8月 ハイフライフローをG1から使う 

2008年1月 仮面ライダーキバ始まる 「100年に一人の逸材」のフレーズをパクる 

2009年1月 棚橋武藤越え 

2009年4月 CHAOS結成 中邑がボマイエを使い始める 

2011年1月 IWGPインタコンチネンタルベルト 

2012年1月 ブシロードオーナーへ  


2005年熱いですね サイモンvs菅林バトルでWWE路線へマッチメーカーを邪道外道へ

 WWEテイストに一番アジャストできるのは? 

棚橋に話が。

 棚橋考えて自分プロデュースの2006年と繋がるような気がします。 

だから実際にWWEを意識したのは2005年末だとおもってます。 


プロレス下手くその藤田がトップで今まで頑張った彼らが弱いと一蹴される。

強いってなんだ?

 そういった恨みが裏で棚橋中邑を結託させた気がしてるんですよね。 

だから間違った流れを正したい、

力が欲しいと願った時に渡りに船のWWE路線。 


強いでない価値観で勝負だ! 

これがキーポイントなのかなと思います。 


【裏を取って欲しい項目】 

Q1;邪道外道がマッチメーカーになった年月は? 恐らく、この時期から永田vs棚橋戦が連発されているはず・・・  

Q2;棚橋がアメリカ遠征に言った時?リッキー・スティームボードに似ているとアメリカで話題になった時期 これは推測ですが、WWEへ試合スタイルも寄せていったのもこの頃じゃなかったでしたっけ? 

グレート・フジ・ホールディングス

悪役軍団山田組二代目組長のグレート・フジ(旧ハレタコーガン)が運営する(仮想)総合商社。 ①アマチュアプロレスというジャンルをもっと広めたい。 ②キャッチルールというジャンルをもっと広めたい。 ③様々なジャンルの事柄を面白くする。 ってな活動を主に行っていきます。

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